-コラム 3月分-

第515話 2008/3/31

こんにちは
今日は風が強く、せっかく咲いた桜が散ってしまわないか心配な一日でした。

人それぞれ、結婚相手に求めるものは違います。
パズルみたいに一方の凹凸に合う凹凸を見つけるためには、自分の凹凸を知っていることがご縁に出会う近道になるはず。
自分の足りないところを埋めてもらい、相手の足りないところを埋めらる人と出会った時に、うっかり見過ごしてしまわないためにも自分の凹凸を再確認は役立つはず。
凹凸が合うということは自分の良さを生かせる相手であるはず。
なので、4月は自分の凹凸確認月間にすることにしませんか?

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第514話 2008/3/28

こんばんは

桜の開花も日に日に進み、いよいよ春本番ですね。
暖かさも定着しつつあり、デートが楽しい季節です。

『春だから、恋がしたくなるね』

と、ある会員さまがおっしゃっていました。
この春、お見合い活動中の皆さまに良いご縁が恋に乗ってやって来ますように!

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第513話 2008/3/20

こんにちは
最近読んだ万葉学者中西進さんの本に、『お見合い』という言葉はもともと相手が十分尊敬できる相手か、すなわち自分に見合う相手かどうかを確かめる場という意味から来ているというようなことが書いてありました。
お見合いの順序としてはまず身上書でお互いに釣り合う相手であることを確認し、それから実際に会って自分に見合う相手であるか確認するというのが日本古来の風習としての“お見合い”だそうです。
そういう意味でお見合いを認識すると、趣味が合うかとか、話が楽しいとかいうことがとても小さな次元に感じてしまいます。 なにかもっと根元的なことを確認するべき場に感じるのですが、じゃあお見合いの場で実際に何をどうやって確認するのか?ということになるのですが、皆さまはどう思われますか?

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第512話 2008/3/15

こんにちは
今日はとても暖かくて気持の良いお天気でしたね。

私たちはどうしても“自分にとって相手が”心地よいか、希望に当てはまっているかを見てしまいます。
自分を軸にしていると相手への視線が厳しくなるのは避けられません。
ご縁の相性を見る時に、一度は相手を軸にして、“相手にとって自分は”と考えてみましょう。 自分との結婚によって相手に何を与えることができるのかをじっくり考える時間を持つと、それまで見えなかったものも見えてくると思います。
その結婚によって、相手に与える量こそが自分が受け取る量のはずです。
また、たくさん与えることができる相手とは、自分の良さがたくさん発揮できる相手ということにもなるはずです。

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第511話 2008/3/8

こんにちは

お見合いのお立会いで提携先の会員さまと2回、3回とお会いする時があります。そんな中、たまに同じ会員さまなのに印象がガラっと変わってしまって驚くことがあります。
前回はとても疲れて精気の無い印象だったのに、今回は生き生きしてる。
とか、その反対とか。
残念ながら、人間疲れていると魅力が半減以下になってしまいますね。

当社の会員さまのように何回もお会いしていれば「ああ、今日は疲れてるんだな」と分かりますが、初対面の方とお会いする場合、最初の印象がその人の全印象になってしまうので注意が必要です。
花粉症や、年度末の疲れの影響が出やすいこの時期、少しでも生き生きした印象を与えられるよう気を付けたいものです。

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第510話 2008/3/7

こんばんは

前回のコラムでご紹介した狂歌、
“世の中に たえて女の なかりせば をとこの心は のどけからまし”
には元歌があります。元歌は古今和歌集に収められた在原業平の下記のような歌です。

世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

在原業平は伊勢物語の主人公とされている人物で相当いい男だったらしく、恋もたくさんしたようです。
その在原業平の和歌の中にこのような歌もあります。

桜花 散りかひくもれ 老いらくの 来むと言ふなる 道まがふがに

この歌に込められている在原業平の「年を取りたくない」という気持ち、よ〜〜〜くわかります。
恋多き美男子(だったと言われている)なら尚更でしょうね。
ホント、散った桜で“老い”がやってくる道が隠れてしまえば素敵です。

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第509話 2008/3/3

こんばんは
今日は桃の節句です。
気温も暖かくて春がやってくるのを感じる一日でしたね。

3月3日は前々回のコラムでご紹介した江戸の狂歌師大田南畝の誕生日です。 大田南畝は男女の関係を下記のように歌っています。

世の中に たえて女の なかりせば をとこの心は のどけからまし

まあ、それはお互い様ですね。
たとえ“のどかな心境”を失うとしても、それでもやっぱり、共に人生を歩む男(女)はこの世にいて欲しいと思いませんか?

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